私のキャリアと生き方。日本の過去と未来考察
大学卒業後から結婚までは教師をしていましたが、専業主婦となり家事育児に専念していましたが、働いていない、社会との関わりがない、貢献性が低い、と「感じてしまい」、子供は可愛いけれど悶々とした日々を過ごしていました。
今振り返ると生まれてから3年半。
寝返りをしてつかまり立ちをして歩くようになって、言葉もはっきりして、ちゃんと会話できるようになって、
最初はおっぱいやミルクだけだったのに、離乳食を始め、だんだん食べられるものが増え、大人と同じものが食べられるようになって、自分ひとりで食べられるようになって、
どんどん自分でできることが増えていく。
写真を見るとその成長過程がとても懐かしく、かけがえのない時間だったのだと思います。
でも当時は、毎日接しているとその小さな成長を楽しむ余裕もなく、
朝ごはんを食べて公園に行って遊ばせて帰ってお昼ご飯を食べて昼寝させて、一緒に少し寝て家事をして、起きたら遊んで夜ご飯を食べて入浴後に寝かしつけ、
の無限ループに
「毎日同じことの繰り返し…」
と感動や自分の成長を感じられない、
下手したらほとんど「大人」と話をしない、朝晩旦那と少し話して後は言葉の通じない子供と過ごすだけ、という日々に自分の生きがいや居場所のなさを感じていました。
それはきっと、そもそも自己肯定感が低かったり、自分の存在意義を感じられていなかったからであって、子供がいるいない、仕事をしてるしていない、の問題ではなかったのだと思うし、
そういう意味では「仕事をしてる」ということは分かりやすく社会貢献感を与えてくれる、手っ取り早い存在肯定になり得るのだろうなと思います。
本当の存在意義、自己肯定感は何かをしているから(仕事をしているから)とは関係なく、
「何にもしていなくても社会貢献していなくても、生きているだけ、存在しているだけで自分には価値がある」と思えることなのですが、
それは目に見えない、他者からも判断されにくいことなので、どうしても「仕事」や「財産」、「何をしたか」や「何を得たか」で自分や他人の価値を計ってしまうものだと思います。
特に日本は亭主関白、男尊女卑の意識もまだ根強く、「女性の社会進出」や「1億総活躍時代」なんて言われていますが、
これらの言葉や施策は、表向きには
「女性の社会的地位をあげよう、女性の能力を社会に生かそう、結婚や出産、介護でキャリアを断念した専業主婦の潜在的価値を社会で発揮してもらおう」ということですが、
国や政治家たちの本心は、
これからの労働人口減少、人手不足、超少子高齢化、社会保障費の増大という課題の解決策として、働ける人には出来るだけ働いてもらって厚生年金などの税金を払ってもらい、収入を得ることで自分たちの生活は自分たちで守ってもらいたい、
といったところでしょう。
それは悪いことではありません。
現実問題、すでに労働人口減少、人手不足によるサービスの低下や外国人労働者受け入れ、少子高齢化に伴う高齢者への社会保障費の増加問題、少子化対策として幼保無償化などなど、
日本が直面している財政危機は、今まで社会保障で手厚く守られてきた日本国民たちにとっても深刻で、今までのように「国がなんとかしてくれる」というわけにはいかなくなることが予想されます。
私たち国民一人ひとりが自分たちの生活に責任を持ってしっかり対策することで国の社会保障に頼ることなく健全な国の財政が保たれると言えます。
そうなると、女性が働いて税金を納め、収入アップ分でしっかり老後資金を準備したり、各自で自助努力をすれば国としても助かる、ということになります。
女性が働き厚生年金を納めることで、老後に受け取る年金額を増やすこともできるため、国民側としてのメリットがまったくないわけではありません。
少子高齢化なため国民年金額が減ることは避けられないと思いますが国の制度なのでまったく貰えなくなることはあり得ませんし、終身年金=生きている限りもらえるので、今言われている「長生きリスク」対策としては有効ですし、障害状態になったときの障害年金や亡くなったときの遺族年金として支給される機能もあるので国民年金はきちんと納めておいた方が良いと思います。
私が個人的にイラッとしてしまうのは、
「女性が輝く社会」
「1億総活躍時代」
などと綺麗事を並べて女性が働くことを推進していることです。
正直に、
「少子高齢化で労働人口も減ってしまい、今後の国の財政が危険なので、どうか働ける他人は働いて税金を納めて自分の収入を上げて自助努力をしてください」
と国民に頭を下げれば良いのに、と思います。
女性が働くことは自立した自分の人生を生きる、家庭以外の居場所を持つ、子育てに集中し過ぎないことでお互い適度な距離を保てるし子育てをママだけでなく、保育園や学校など家庭以外にも分散することができる、収入を得ることで自信にもつながり、精神的にも経済的にも安定する、収入がしっかりあれば生活保護に陥るリスクや国や自治体からの補助を受けることもなくなり、結果的に国としても社会保障費を削減できるのでみんなHappyと好循環が生まれると思います。
しかし!!!
その本心を隠して、さも女性のためを考えているかのような綺麗事の数々…
「女性が輝く社会」
→働いていない専業主婦は輝いてないって言うのかい(怒)
「1億総活躍時代」
→働いていないってことは活躍していないってこときい(怒)
となってしまうのです。
そういう綺麗事に隠された本心て、隠しても隠しきれないというか何となく伝わってしまうんですよね。
人間は見えなくても感じることができるから。
表面的にいくら取り繕っても、綺麗事を並べても本心は言霊に乗って届いてしまいます。
心が伴っていない思いは伝わらないし、一時的には騙せてもいずれバレます。
そして一時的には騙せても後でそれがバレた時には最初からバレる以上に信頼を損ない嫌われ、取り返しがつかなくなる可能性が高いので気をつけたいものです。
自分にも相手にも誠実に生きましょう。
人は本心を押し殺して生きていくと不安定になります、そんな人たちが世の中溢れています。
私は自分が経験していて、「妊娠出産育児」は本当に大変で尊い仕事だと感じています。
もちろん社会で働くことすべてに言えることですが、子育てはまた別。
赤ちゃんによって、親によって、家庭環境によって、育て方の正解は異なります。
教科書通りにはいかない、
その日、その成長段階によって変わる子供とその対応の難しさ、
予測がつかず、対処の仕方もわからず、本当にいっぱいいっぱいになって、
精神的にも肉体的にも疲れてしまう。
料理や洗濯、掃除などの家事に加えて子育てをしてる女性に対して
「輝いていない」「活躍していない」と感じさせてしまうこと自体が、なんて配慮のない言葉たちなんだろう、と思わずにはいられません。
ましてや一度キャリアがストップしてしまった子育て専業主婦にとって、保活と求職活動を両立して社会復帰することは容易ではありません。
自分が経験して実感しましたが、そもそも保育園に預けられないと働かない、でも働く予定がないと保育園に入れない…
しかもそれまで専業主婦だった生活から朝保育園に送り、仕事が終わってお迎えに行き、帰ってバタバタと夕飯、入浴、寝かしつけ、翌日の保育園準備、など慣れるまでとても大変です。
実現させるためにはパパや周りのサポートが
「必要不可欠」です。
これは声を大にして言いたい!
絶対に必要不可欠!!!
私も完璧主義だし、家事育児すべてをやろうとしてしまい、何からやってよいのか段取りやら計画を立てる時点でテンパって爆発する、を何度も繰り返し、最近悟りました。
「そのやろうとしてること、全部やらなくて良い、っていうか出来ないし、ひとりじゃ無理、頼ろう」
自分でハードルを上げ過ぎていたし、やはり周りの目を気にしてしまうため、料理するにもいちいち
「これで良いかな?」と旦那や食べる人のことを気にし過ぎていました。
もちろん美味しいご飯を作りたいという気持ちは悪いことではないのですが、そもそも忙しい日常の中で手間暇かけて毎日料理なんて出来ないし、
献立考えて買い物したり、余り物を使って効率よく料理をする、しかもできるだけコスパよく、なんて無理!!!
と開き直って最近は旦那にも
「これで良い?」と聞いた上で簡単なものにしたり出来ることはやってもらうようにしています。
ちゃんと伝えないと伝わらないのだけど、伝え方が悪いとうまく伝わらずに喧嘩になるし、逆ギレされると余計につらくなるし、
自分がいっぱいいっぱいだったり、自分を否定して落ち込んで不安定なときは、自分の気持ちを相手に伝えるということが出来なくなってしまって、コミュニケーションを諦めてましたが、それでは何にも解決しなくて…
自分を見つめて癒してあげる、を先にするようにしてから、最近はだいぶマシになりましたが、一時期は酷かった…
どん底のときってもうすべてを諦めてしまっているので誰ともコミュニケーション取りたくなくなるんです。
ちょっとした言葉に勝手に傷付いてしまうし、人と関わるパワーがなくなります。
話を戻すと、
ママが仕事をするためには家庭として家事育児をどう分担するのか、働き方と自分たちの生き方、生活の仕方を踏まえてよく考える必要があると思います。
パパはもちろん、そのほかにも頼れる人がいるか、病気のときなどに利用できるサービスはあるか、いくらかかるか、など。
子育ては尊い仕事でこれからの日本を支える人材育成としてはとても大切で責任重大なのですが、だからと言って子育てしながら働くということは雇う側としては綺麗事ではありません。
本来であれば、病気、怪我や保護者会などによる子育てにおける欠勤や遅刻早退は周りでカバーされるよう会社としても体制を整えるのが理想ですが、突発的に休まれることを想定して業務を進めることはなかなか難しいと思います。
雇う側、管理する側としては急な欠勤や遅刻早退なく、普通に毎日出社して仕事をしてくれる人を採用したいと思うでしょう。
でも、少子高齢化のこの時代に妊娠出産育児を理由に解雇したり採用しない、というのは企業にとってもイメージダウンですし、子育てに限らず、介護離職も深刻なので人手不足、人材不足のこの時代に個々の家庭事情を無視して採りたい人だけ採っていたのでは十分な労働力を確保できません。
企業としても優秀な人には家庭事情がどうであれ、そこを企業全体でカバーし合うので来て欲しい、ずっと長く働いて欲しいという意識があると思います。
以前はそこまでしなくても十分な労働力を確保できたでしょうし、経済成長できていた日本ですが、これからはそうはいきません。
時代の変化とともに、労働者側の権利が強くなり、以前は考えられなかった「労働者が企業を訴える」ということが頻繁に起き、労働者側の権利や訴えが認められるようになってきました。
高度経済成長期には企業の言う通りに真面目に働き単純作業でもそれなりのお給料がもらえて生活できていた、仕事内容がつまらなくても上司が嫌いでも毎日出社して言われた役割を果たせばお金は貰えた、バブル期までは金利もよく銀行に預けていればどんどん増えて、女性は働かなくても家事育児に集中できるだけの余裕があり、親戚や祖父母の手を借りることもできたため、核家族化の進む今よりも家事育児の合理性が高く、経済的な安定感があった、だからつらいことも理不尽なことも我慢できた。
そもそもの戦後は焼け野原でみんな貧しかったから今のように物で溢れているわけでもなく、「羨ましい」とは思っても「みんな持ってるから自分も欲しい、買わなきゃ」と思わずに済んだ。
しかし、バブルが弾け、金利はどんどん下がり、少子高齢化による社会保障費の増大など日本の財政危機が訪れ、国民の税負担が増えて手取りが減る、物価や教育費の上昇、長寿化による老後費用確保の必要性、介護リスク、
加えて日本人特有の「みんながやっているから、持っているから」と本当に必要かどうかわからずに買ってしまい長期的には不必要だった…ということも物で溢れる現代では起こっていると思います。
「勿体無い」精神は素晴らしいですが、かと言って必要ないものまで取っておくと物が煩雑になり整理する手間や管理する労力、場所を取るなどの問題もあり、物で溢れる現代だからこそ、「断捨離」「ミニマリスト」という概念が流行っているのだと思います。
この数十年で経済、技術、人々の生活、働き方などが大きく急速に変わりました。
親世代と同じ生き方をしていては家計が破綻したり、家庭が崩壊したり仕事を続けられなくなったりする危険性があります。
「時代が違う」
「時代に合わせて考え方や常識を変えていく必要がある」
ということを認識して、正しい知識や情報を得た上で、
「自分たちはどう生きていきたいか」をしっかり考えていく必要があります。
国や会社が守ってくれる時代ではなくなりつつあります。でもそれを国は正直に言ってはくれません。
「大丈夫大丈夫」と言われてもそれを疑って自分の目や耳で正しい情報をキャッチし、自分の頭で考えて判断していくことが自分たちの生活、家族を守ることに繋がります。
悲観的になるのではなく、前向きに
「自分の人生、大切な家族は自分で守る」
という意識が大事。
守ってもらう依存型ではなく、
自分で自分の生活を守る自立型で
国民一人ひとりが生きていくことが出来ればまだまだ日本は大丈夫。
私は日本の国や財政には危機感を抱いていますがそれは個人個人が対策可能で、日本が危機的状況になってもきちんと対策していれば共倒れにならずに済むと考えています。
そして、一方で日本は歴史、伝統、文化、温泉や美味しい郷土料理など誇れる価値がたくさんあるとも思っています。
少子高齢化で経済不安はありますが、人口減少して消費してくれる人が減るのなら海外からたくさん旅行に来てもらって日本の素晴らしい価値にお金を払ってもらい、満足してもらえば良いと思っています。
英語や外国が大好きで、海外旅行ももっとしたいですが、海外に住むよりも日本に来てもらった外国人の方をおもてなしする観光業とか、将来的に出来たら嬉しいなと密かに思っています。
海外旅行から帰ってくると美味しい日本食(特に味噌汁!)と温まるお風呂で
「やっぱ日本最高〜
日本人だ良かった〜」
と思います^ ^
色々と不安や不満、後ろ向きになってしまうようなこともあるけれど、その中で自分に出来ること、人にも喜んでもらえて社会のためになること、希望の光を見つけて一人ひとりが幸せに生きられる世の中になりますように。
I believe that every single person can make a difference with his/her talent.
Pray for peace.