毒親と観念と私の母
数年前から「毒親」という言葉が広まり、親子関係から生きづらさを抱える人たちの存在が注目されました。
教育や子育てに興味があった自分はその手の本や情報を読み漁り、まだ子供もいなかったため、完全に子供視点で
「こんな親がいるなんてひどい!かわいそう!」と思っていました。
親からの言動で心に傷を負い、自分軸を持てず、自己肯定感が育たず、親や周りの人々の顔色を伺い振り回される、そんな生き方になってしまう毒親育ちの人たち。
さぞつらい思いをして生きながらえてきたことでしょう。
元教師として、毒親はたくさんいるなぁと感じたし、毒親じゃない人の方が少ない。
みんな多かれ少なかれその要素はある、と感じました。
程度の差はありますが、喧嘩したり思春期や成長過程で親に反抗したり、親から離れて自由になりたい、好きにさせて!などの思いを持つことはあると思うし、
もっと極端なケースでは親の言うことは絶対、子供に意見や選択の自由はないという育てられ方をしたり、
逆に甘やかされて親の言う通りに生きていれば居心地は良く守られているけれど自分で判断や選択ができない、親に依存したまま大人になってしまい、何でも親に確認して親の理解がないと行動できないということなどもあると思います。
自分が親になって実感しますが(とは言えまだ3年半ですが…)、
親子だからこそ、距離が近く感情的になってしまい、適度な距離を保ち、教えるべきことは教えるけれど、本人に任せるべきところは見守り、親は親、子供は子供、違う人格でそれぞれの自立が大切と意識しながら子育てすることはとても難しい…
「アドラー心理学」でも出てくる
「課題の分離」という言葉。
親の課題?
子供の課題?
自分の課題?
夫の課題?
誰の課題?
それは本を読んだり調べて分かったつもりになっていても、それまでの人生でしてこなかった、されてこなかった、周りの人もそうではなかった、自分もできなかった、という場合、
染み付いた習慣、条件反射として真逆の対応をしてしまうので、頭で分かっただけではすぐに実践するのはとても難しいことなのです。
客観的には判断できても、意外と自分のことは客観的に見れないし、感情や観念があるので自分の普段の行動や思考、感情に戻ってしまいます。
「観念」とは「こうあるべき」「こうするべき」という正論、こうでなければならない、という思考です。
それは生きていく上で少しずつ潜在意識に刷り込まれ、その人の物事に対する見方、考え方、反応の仕方(安心、喜び、怒り、不安など)にも大きな影響を与えます。
同じことが起きても反応が人それぞれなのはこの「観念」がみんな異なるからです。
そして、観念は幼少期の周りからの言葉や態度から形成されます。
親だけの責任にすることはとても心苦しいですが、ベビーシッターや他人に預けること、子育てを親以外がすることが一般的ではない日本において、「観念」の形成は親からの影響を大きく受けてしまいます。
親が働いていたり事情があり、祖父母や親戚に育てられるケースでも、親の親や親戚である以上、祖父母や親戚に育てられることで親と同じような接し方をされる確率は高いでしょう。
結果的に、子育ては連鎖します。
人はされたように人に接する。
育てられたように育てる。
言われたことを人にも言う。
だから嫌でも親のようになってしまう。
親と同じ育て方をしてしまう。
私も「親にされて嫌だったことをしてしまう自分」に落ち込み自己嫌悪に陥りましたが、それは人間として仕方のない、当然のことなのです。
私が悪いわけでも親が悪いわけでも、だれが悪いわけでもなく、
親も親からそうされた、それを変えられなかった。
私の場合、最近母方の祖母が母に対してどんな子育てをしたのか、子育てをしてるときにどんな祖母だったのかを聞くと、母も祖母のようにならないように気をつけたり、祖母の突然の理不尽な要求(祖母が友達と会うため新宿に出てくるから幼い子供を連れてあなたも来なさい、と母の都合も考えずに一方的に言いつけたり)を無条件に受け入れるしかない状況に困り、
「これではダメだ」と思ったらしく、長男である兄をボーイスカウトに入れて
「日曜日はボーイスカウトがあるから会えない」と祖母に呼びつけられても堂々と断る理由を作り祖母から逃げたそうです。
実際、母は祖母とは離れ、祖母のようにならないよう努力したのだ、と思えたときに私の中で母親に「こうしてほしかった」というモヤモヤした思いは薄れていきました。
それからも時折モヤモヤがぶり返すこともありましたが、母からその話を聞けたことはとても大きかったです。
子供の頃は親や周りの大人が絶対で、間違えない、人として正しい、完璧な人間、のような気がしていました。
でも親だって悩みや不安があり、間違えることもある、それにだんだん気付いていきました。
高校生のときアルバイトを始めてからも、仲間のスタッフや指導者、管理者、お客様など、世間の大人がみんなすべて正しい、「大人」ではないんだと気付いたときの衝撃は大きかったです。
親や身近な大人がみんな比較的まともだったため、理不尽で偉そうな客や、年配なのに人としてどうなの?という言動をする人には
「良い年して、なんでこんなにダメ人間なんだろう…」と不思議でしかたなかった…
それは周りの大人がそこそこまともで自分もそうであるように、優等生で育ってきたためだと思います。
でも、世の中には本当にいろんな人がいます。
それは家庭環境、育てられ方、周りの大人やメディアなどの情報…様々な影響を受けて、いろんな経験をして、生まれながらの性格も重なり形成されるから、
みんな違うのは当たり前なこと、とやっと腑に落ちました。
いろんなことが「分かる」と客観視できて、自分のことも冷静に見れるようになりだいぶ楽になりました。
それができない間は本当にしんどかった…
今しんどい思いをしている人の力になれたら…そう願ってブログを綴っていきます。
あなたは悪くない、間違ってない。
自分を責めなくて良い。
もう苦しまなくて良い。
自分を大切にしてあげて良い。
人のことよりも自分のことを優先して良い。
これらは私が最近自分に言い聞かせている言葉です。
嫌なことやモヤモヤすることがあると紙に書き出したりしています。
自分に戻ってこれるように。
すぐ周りに振り回されてしまうので、そういうときは自分にエールを送り続けています。
自分で自分を認める、大切にする、
これが1番難しかった。
今でも難しいけど生きる希望を見失わないために毎日心掛けています。
Pray for peace.
世界中の人々の心に平和を。